東京地方裁判所 昭和38年(ワ)5495号 判決 1965年5月04日
原告 熊谷直代
右訴訟代理人弁護士 小原栄
被告 日本管機工業株式会社
右代表者代表取締役 武谷義水
右訴訟代理人弁護士 伴廉三郎
主文
被告は原告に対し、金一〇八、〇〇〇円およびこれに対する昭和三八年九月一八日から完済まで年六分の割合による金員を支払え。
原告その余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを三分し、その二を原告の、その余を被告の負担とする。
この判決は原告の勝訴部分にかぎりかりに執行することができる。
事実
原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し、金三二四、〇〇〇円およびこれに対する昭和三八年九月一八日から完済まで年六分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決および仮執行宣言を求め、その請求の原因として、
一 原告は現に別紙手形目録記載の約束手形一通の所持人である。
二 右手形は被告がその振出日欄を白地にして振出したものである。
三 原告は右手形の振出日欄白地を昭和三八年七月四日に「昭和三七年一〇月一二日」と補充したものであって、本件第二回口頭弁論期日(昭和三八年九月一七日午前一〇時)においてこの旨主張した(被告訴訟代理人対席)。
そこで、原告は被告に対し、右手形金およびこれに対する右白地補充の主張をした日の翌日である昭和三八年九月一八日から完済まで商法所定の年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。
と述べ、被告の抗弁に対する答弁として、
一 抗弁事実一は認める。
二 抗弁事実二のうち訴外ニコー株式会社が被告に売渡した一二台の厨芥処理機に被告主張のような隠れた瑕疵があったことは否認し、その余の事実は知らない。
三 抗弁事実三は否認する。すなわち、訴外ニコー株式会社は被告より振出交付を受けた本件手形を、同会社の創立資金や営業資金を借りている訴外熊谷長門に対しその債務の支払のために、昭和三七年一〇月中に白地式裏書で譲渡し、右熊谷長門はこれを同居の妻である原告に対し、これも同様原告に対する貸金債務の支払のために、第一被裏書人欄を補充しないで引渡により譲渡したものである。したがって、被告は本件売買契約の解除による代金支払義務の消滅という原因関係上の抗弁をもって、独立の経済的利益主体である原告に対しては勿論のこと、熊谷長門にも対抗することができない。
と述べた。
被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。」との判決を求め請求原因に対する答弁として、
一 原告の請求原因事実一は知らない。
二 同事実二および三は認める。
と述べ、抗弁として、
一 被告は昭和三七年一〇月一八日訴外ニコー株式会社より、炊事場の調理または食事などに伴なう厨芥を細切して流出させる機能を有する厨芥処理機一二台を、合計代金三二四、〇〇〇円(単価金二七、〇〇〇円)で買受け、この合計代金債務の支払のために本件手形を振出した。
二 ところが、その後被告から右一二台の厨芥処理機を転買した訴外明治製菓株式会社函館工場の職員寮に設置された厨芥処理機八台について、同年一二月頃から、電源のヒューズが飛び、厨芥が詰まって流れず、度々の修理にもかかわらず、厨芥の処理が不能になるという故障が継続的に起きた。そこで、被告会社は早速右故障状況を調査すると共に直ちにこの旨をニコー株式会社に通知し、また右故障を修理させるための専門の技術者の派遣方を依頼した。そうして、同年一二月と翌昭和三八年三月中旬頃の二回に亘って修理員が函館まで派遣されて修理したが、結局右故障は直らず、右八台の厨芥処理機はその本来の機能を発揮することができずに使用不能となった。右故障は右機械の設計ないし構造上の欠陥に基づくものであって未使用の他の四台についても同様である。
右故障の基因たる設計ないし構造上の欠陥は一二台の厨芥処理機に付着した隠れたる瑕疵であり、これがため被告は右明治製菓株式会社から転売にかかる全部の厨芥処理機の引取りを余儀なくされ、ために、ニコー株式会社との間になした売買契約の目的を達することができなくなった。
そこで、被告代表者武谷義水は昭和三八年三月中旬頃ニコー株式会社代表者熊谷長門に対し、以上の事実を事由にして口頭で右売買契約を解除する旨の意思表示をした。
三 右のようにして本件売買契約が解除された結果、被告のニコー株式会社に対する売買代金債務は消滅したものであるところ、同訴外会社から本件手形の白地式裏書譲渡を受けた原告は、右会社代表取締役熊谷長門の同居の妻であって、本件手形の授受および本件手形金の支払等をめぐる訴提起前の交渉には一切夫たる熊谷長門のみが関与してきたところなどからすると、原告は右訴外会社のロボット的存在であって独立した経済的利益の主体者ではない。それゆえ、被告は右原因関係消滅の抗弁をもって原告に対抗できる。かりに、原告が独立した経済的利益を有していたとしても、原告は本件手形を取得する当時本件売買契約についての前記解除事由を知っていたものである。そうして、かりに、ニコー株式会社が本件手形をまず代表取締役たる熊谷長門個人に白地式裏書で譲渡し、右長門が原告に第一被裏書人欄を補充しないまま引渡によりこれを譲渡したのであったとしても、長門は本件売買契約の実質上の売主であるから、被告は右長門の悪意の有無如何を問わず同人に対し前記原因関係消滅の主張をもって対抗でき、原告は長門のロボット的存在として、その経済的主体性を欠くのである。
以上の次第であるから、原告の本訴請求は失当である。
と述べた。
証拠 ≪省略≫
理由
(請求原因について)
一、甲第一号証の表面および裏面の各記載および弁論の全趣旨を綜合すると、請求原因事実一を認めることができる。
二、請求原因事実二および三は当事者間に争がない。
(被告の抗弁)
一、被告の抗弁事実一は当事者間に争がない。
二、そこで、被告が抗弁事実二において主張するような本件売買契約の解除が、有効になされたかどうかについて考える。≪証拠省略≫を綜合すると、つぎの各事実を認めることができる。
(1) 被告からさらに前記一二台の厨芥処理機を転買した明治製菓株式会社函館工場職員寮に設置された右機械のうち八台(他の四台は未使用)について、昭和三七年一二月頃(本件売買は同年一〇月一八日)から、電源のヒューズが飛ぶ、厨芥が機械の内部に詰まる、排水が完全でない等の故障が相次いで起り、右工場の職員による度々の応急修理にもかかわらず直ぐまた同様の故障が続出する有様であった。
(2) 右明治製菓株式会社からの苦情の申出を受けた被告会社は直ちにこの旨を売主であるニコー株式会社代表取締役の熊谷長門および取締役の浅井幸市に通知し、かつ専門の技術員を修理のために派遣して貰いたい旨申出た結果、その月のうちに修理員(石田泰治)が函館に派遣され、さらに翌三八年の三月中旬頃被告会社代表者の求めにより石田が再度修理に赴いたが、結局一時的に故障がなおっても、日ならずして同様の故障が起り、右八台の厨芥処理機を本来の用途に従って使用することが不可能な状態に立ちいたった。
(3) 右故障は、厨芥を細切するカッター部分に当る固定刃が動き易くなっているため廻転刃に接触し、廻転作用に著しい摩擦または抵抗を与えること、廻転がこのように円滑でなかったり、廻転に無理を生じたりするから、動力モーターに流れ込む電流に異常現象を生んでヒューズが飛んだり、厨芥が細切されないまま詰まったりすること、ゴムホースのパッキングの調整が完全でないので排水が自由でなくなること等の点にあり、さらにこれらの故障は使用上の不注意によるのではなくて、機械の設計ないし構造上の欠陥のほか各機械の製作仕上工程上の欠陥によってもたらされたものであった。
(4) そこで、被告会社は右のような事由によって、前記明治製菓株式会社からの申込により、転売した全厨芥処理機の引取に同意し、他方同様の事由によって、同年三月下旬頃被告会社代表者武谷は当時のニコー株式会社代表者熊谷に対し、口頭で厨芥処理機一二台の売買契約を解除する旨の意思表示をした。
以上(1)ないし(4)の各事実を合わせ考えると、本件売買の目的たる厨芥処理機八台について隠れた瑕疵が存在した。売買後約二箇月後にして右瑕疵が発見され、買主たる被告はニコー株式会社に対し直ちにこの旨を通知した。その後右瑕疵の修理ができず、機械の使用が不能な状態に立ちいたった結果右売買契約を結んだ目的を達し得なくなった。そこで、被告はこれらの事実を解除事由にしてニコー株式会社との売買契約を解除する旨の意思表示をした。このように認めることができる。この認定を左右する証拠はない。しかしながら、使用中の八台の厨芥処理機のほか未使用の四台の厨芥処理機にも同様の隠れたる瑕疵が存在したであろうと認めるわけにはいかない。何故ならば、前記故障は当該機械の設計ないし構造上の欠陥に起因するのみならず、各機械毎の製作仕上工程の欠陥にも起因するからである。したがって、右売買契約解除の効果は、一二台の厨芥処理機のうち使用中であった八台のそれについてのみ生ずるものといわなければならない。
三、さて、本件売買契約が解除された結果被告が本件厨芥処理機八台について負担していた代金支払義務は消滅したわけであるが、被告はこの原因関係の消滅の主張をもって原告に対抗し得るであろうか。
(1) ≪証拠省略≫によると、本件手形は、その手形裏面の記載とは異なって、受取人であるニコー株式会社から昭和三七年一〇月中に右会社の代表取締役の地位にある熊谷長門個人に対し、白地式で裏書譲渡され(同会社の取締役会の承認を得たものと認めさせる資料はないが、この点について被告訴訟代理人の主張がないので、右譲渡の有効性の有無の判断を差し扣える)、その後右長門が原告に対し、これを第一被裏書人欄を補充しないで引渡によって譲渡したものであることを認めることができる。この認定を左右する証拠はない。
(2) そこで問題は、被告の前記原因関係消滅の主張は熊谷長門に対抗できるものかどうかの点にある。さきに判示したところによれば、本件売買契約の解除事由が発生したのは昭和三七年一二月中であり、熊谷が本件手形を取得したのは同年の一〇月中である。したがって、熊谷は右解除事由の発生について悪意であったということはできない。
しかしながら、≪証拠省略≫および弁論の全趣旨を綜合すると、本件一二台の厨芥処理機は熊谷長門がニコー株式会社名義で訴外株式会社鈴木製作所から買求め、これをさらにニコー株式会社名義で、同会社には中間マージンを全く支払うことなしに(このことは実質上の売主が熊谷長門であるとみる見地に立てば当然のことである)、被告に売渡したものであり、右株式会社は被告との関係において、たんに形式的な売主の立場に立つのであり、実質上の売主は熊谷長門個人であることを認めることができる。証人熊谷長門の証言中一部右認定に反する箇所があるが、この部分は措信することができない。右事実によれば、たとえ熊谷長門が被告の直接の取引相手方たるニコー株式会社から本件手形を取得したものとしても、当時同会社の代表取締役の地位にあり、本件売買契約成立の経緯をよく知っており、しかも実質上の売主であったとみられる熊谷長門は、形式上の売主たるニコー株式会社と同視して然るべきであり、それゆえ手形流通上保護に価する第三者ということはできない。したがって、被告は右熊谷長門に対し、その悪意の有無を問わず右売買契約解除すなわち原因関係の消滅の主張をもって対抗できるものというべきである。
(3) それでは、原告は右熊谷長門のロボット的存在であって独立した経済的利益を欠く者であろうか。証人熊谷長門(第一、二回)および同熊谷茂子は、長門はその妻である原告(原告が長門の同居の妻であることは当事者間に争がない)に対し、借財があり、その債務の支払のために本件手形を譲渡したものであり、原告は熊谷貿易株式会社の形式上の社長であり、不動産も所有している旨供述するけれども、≪証拠省略≫および弁論の全趣旨を合わせ考えると、(イ)原告は本件手形を取得する約一〇月近くも前の昭和三七年二月頃から病気に罹って臥床し、今日に至っており、右事業等には一切関与せず、ひたすら療養の日を送ってきたものであること、(ロ)原告の所有する不動産も夫たる長門から譲受けたものであること、(ハ)本件手形の授受ならびに手形金の支払等について債務者たる被告との間の交渉には一切長門が当っていたことの各事実を認めることができ、以上の各事実と原告が当年六八才にもなる老女であり、しかも或程度盛んに事業を営んでいて、身心未だ健康である熊谷長門をその夫にもち同人と同居している身上であることを考え合わせると、原告は本件手形取得当時以来正に長門のロボット的存在であるといってもよく、独立の経済的利益を有しない者であるというよりほかない。したがって、原告が本件手形取得当時本件手形の原因関係の消滅ないしその蓋然性について悪意であったかどうかを問わず、被告はすでにみたような熊谷長門に対抗できる主張をもって、原告に対抗できるものということができるのである。
四、そうだとすれば、本件手形振出の原因関係となった前記厨芥処理機一二台についての売買契約のうち八台についての売買契約は解除され、その分の売買代金二一六、〇〇〇円の債務は消滅したことになり、したがって被告は原告に対し、本件手形金三二四、〇〇〇円から右金額を差引いた金一〇八、〇〇〇円およびこれに対する振出日欄白地の補充についての主張をした日の翌日である昭和三八年九月一八日から完済まで商法所定の年六分の割合に遅延損害金を支払う義務があるものといわなければならない。
(結論)
よって、本訴請求は右の限度において理由があるから、これを認容し、その余は失当として棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条第九二条本文を、仮執行の宣言について同法第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 逢坂修造)